子どものあそびはなぜ行われるのか・・・おもちゃを通して探していきます。

対象の使用−Object Controrl−

◎Aママの記録

ここにAママから頂いた5ヶ月〜6ヶ月の赤ちゃんの行動の記録がある。短いものだが作為がないという意味で貴重だと思う。

平成20年1月2日生まれ(男子K)

6月1日(生後5ヶ月)

    寝返りする。
    タオルを顔に掛けて自分で取ってあそぶ。
    手を揉んであそぶ。
    話しかけると「ウーウー」と返事をする。
    なまえを呼ぶとニコッ。
    毎晩タオルを握りしめ、顔に当てながら寝る。
    おしゃぶり使用。

6月9日
    寝返りして、おしりを持ち上げる。
    タテの抱き方が良くなる。

6月12日
    うつ伏せでヒジを付けるようになる。
    寝返り。
    泣いているときにタオルを渡すと泣き止む。

6月15日
    おもちゃを持ち替えてあそぶ。
    音が鳴るおもちゃを振り回す。
    何でも口に入れたがる。

7月4日(生後6ヶ月)
    うつ伏せで前にものを置くと少し手が出る。

7月6日
    突然、いろんな声が出るようになった。(生後8ヶ月の従兄弟とあそんでいた。)

7月14日
    おしゃぶりを渡すと手を出した。
    姉(2歳)走るのを見て声を出して笑う。


◎正常な情緒発達における抑うつポジション

クラインの抑うつポジションの概念については、前章の「乳児の妄想と分裂」で簡単に触れた。乳児の対象関係が、部分対象から全体としての対象を取り入れることで根本的に変化してくる。愛する対象への憎む側面と愛す側面の統合が、悲哀感と罪悪感を生み、これらの感情が、乳児の情緒生活および知的生活に生き生きとした進展を及ぼしてくるということであった。
ウィニコットの表現では、一つのユニットとしての自分と、外界としての自分でないもの、無慈悲な愛から思いやりの愛という言葉が使われている。ウィニコットの抑うつポジションについての見解を見てみよう。
原始的な愛情衝動にある破壊的で攻撃的な要素から、愛情対象に対する思いやりが生まれるのであるが、そうした要素は徐々に自己全体へと同化されていく。原始的な衝動は、第三者から見ると残酷なものであるが、しかし幼児自身にとっては残酷以前のもので、統合が達成されるようになって、はじめて残酷なものであったと感じられる。言いかえれば、粗野で原始的で興奮した観念にある破壊的な要素を認識することによって、幼児は本能的な衝動をコントロールするようになる。
正常な情緒発達における抑うつポジションの通過を、出来うる限り単純に解釈してみると、破壊や憎しみという本能的攻撃衝動を、どのようにして愛という建設的な衝動に変換していくかというプロセスのことであろう。赤ちゃんは愛されることで愛することを学んでいくのであり、ケアーを受けることで自らをケアーできるようになり、攻撃衝動が必ずしも報復されないという経験をすることで不安を克服してゆくことができる。情熱的な衝動は分散され、愛するよろこび、知るよろこび、表現するよろこび、到達するよろこび、運動するよろこびなど、精神的な静かなよろびへと変換されてゆくのであろう。クラインは「現実に何らかの形で攻撃性が関与しない生産的な活動はない」と述べているが、攻撃衝動とは本来生きる力であり、その最初の用い方を母親から学んでいるのだと思う。赤ちゃんの気質やリズム、母親の生い立ちと感受性はそれぞれであろうが、抑うつポジションの通過がどのようになされてゆくかと言うことは、その後の人生の基盤になっていくということは考えられることである。


◎日常的な日々

早期の抑うつポジションの通過は、生後3〜4ヶ月から見られると言うことであった。一つのユニットとしての形成は7〜8ヶ月頃の、いわゆる8ヶ月不安といわれる時期に相当していると思われる。自分と自分でないものという境界形成ができてくるのは9ヶ月〜10ヶ月であろう。この時期に特徴的な行動としてテーブルの上のスプーンを落として、おもしろがるという行動が見られるようになる。三個の積み木を積んで自賛の拍手をしたり、二足歩行によろこびを見つけたり、ボールを相手に「どうぞ」と手渡しできるのが、1歳2ヶ月〜1歳3ヶ月頃に見ることができる。2才くらいから見られる性器への関心や5才くらいからのエディプス対象喪失の時期にも、課題を変えてはいるが抑うつポジションの通過はあるのだろう。
ここでは、Aママの記録を参考にして早期の抑うつポジションの通過と対象の利用の様子を見てみたい。

6月1日の記録から(生後5ヶ月)
視界からママの姿が消えると泣くということであった。ここでは一つのユニットに発展していく姿としてのユニットの形成が始まっていると思われる。話しかけるとニコッと笑う仕草は生後3ヶ月には見られるようになるが、Kちゃんの場合は名前に反応したり、話しかけに「ウーウー」と返事をしている。タオルを顔に掛けると払いのけようとする仕草が見られるが、ここではウィニコットの「一人であそぶ能力」が想起されてくる。寝るときのタオルの使用は、部分対象としての母を握ることで不安を緩和しているのだろう。

6月9日〜15日の記録から(生後5ヶ月後半)
寝返りをしておしりを持ち上げたり、うつ伏せでヒジを付けたりの身体の自由度が増えている。身体を立てて欲しいという欲求は、空間を側面から見たり、重力への抵抗と関連しているのだろう。手の操作には、おもちゃを持ち変えるという可逆性が見られる。泣いているときにタオルを渡すと泣き止むなど、母親の不在を耐える様子が見られる。おもちゃを振り回したり、何でも口に入れたがるなど、口唇的な欲求やサディスティク衝動も見られる。Aママに聞くと、噛む行為も強いということだった。

7月4日〜14日(生後6ヶ月前半)
うつ伏せで前にものを置くと少し手が出る。従兄弟の声に供応したようで声が急に出るようになった。おしゃぶりを渡すと手を出した。2才の姉が走るのを見て声を出して笑うなど、早期の抑うつポジションの通過を想起させるような行動が見られる。オッパイをいやがるために断乳をしたと言うことだった。


◎Aママへ

日常からの記録ありがとう。これらの小さな記述からもたくさんのことを学ぶことができます。まず第一にママと赤ちゃんが日常の中で大変な仕事を積み重ねているという印象です。リボンクラブでの様子から、子どもとの関わり方がほど良く感じられます。しっかり、ゆっくり現在のペースを大事にしてください。断乳は少し早かったかと思いますが、その分スキンシップやコミニケーションでケアーしましょう。噛む衝動が強くなってくる月齢ですから、歯固めのようなモノを用意してあげましょう。
空想と現実という意味では、過渡期のように思います。現在Kちゃんにとってタオルはママの範疇(もしくはKちゃん自身)ですが、少しづつKちゃんはKちゃん、ママはママ、タオルはタオルというように認識していくようになるでしょう。ウィニコットによると、「一人であそぶ能力」は6ヶ月くらいから見られるということですが、Kちゃんも好奇心がずいぶん出てきているようです。口唇的な活動や“見る”ということにも楽しみを増やしていく時期です。お家の中の身近なモノを見て楽しみましょう。レネー・スピッツによると、視覚の特徴は対象を区分するということですから、知的な活動に関与してくると思われます。サディステックな衝動という言葉は日常的には使いませんが、この月齢では生きていく力というように理解していいと思います。お姉ちゃんが走るのを見て声を出して笑ったということですが、「ぼく、この家に来て良かった」と言っているように聞こえます。赤ちゃんって、一日一日成長していきますね。


◎対象

対象とは何だろうか?
世の中にはいろいろの人がいるものだと感心したのは、山蛭についての研究書を読んだときだ。山蛭というのは見たことはないが、泉鏡花の小説にあった。旅人が山中深く分け入ったとき、ばらばらと木の上から山蛭が落ちてくると言う記憶だけが残っている。鏡花の小説だから、山の奥の宿には美しい乙女か恐ろしい婆がいたのかも知れない。現実の話としては、子どもの頃に田んぼや川であそんでいると、よく川蛭が足に付いて血が流れていた。けっこう大型のがいて、水中から浮かび上がった友だちの額に付いていたことがある。本人は気づかなかったらしく、こちらの顔を見てニッと笑ったので余計な記憶として残ってしまった。
図書館で読んだ山蛭の本は科学のコーナーにあった。目がないか退化して見えないので、木の下を通る獲物に合わせて上手い具合に落ちるにはどのような能力を使っているかということや、山蛭はその生涯において世界をどのように認識するかというような内容だった。他にもコウモリについての研究もあった。コウモリは自ら高周波を出して獲物を捕食しているらしい。空中に飛んでいる虫などを飛びながら捕まえると言うことは、空間の認識がしっかりしていると言うことだろう。松沢哲朗はチョウチョについて報告していた。チョウチョは人間の視力で見えない紫外線が見えるらしい。花や梢は人間と違った世界として写っているということだった。松沢はイリュージョンという言葉を用いて、世界は解釈する脳によってことなるので、一つの世界が存在するのではなく、それぞれが幻想のようなものだという意味を含めていたように思う。
こうして考えてみると、対象とはそれぞれの生き物によって違って解釈されているらしい。誰の解釈が正しいのかと言うことになると、それぞれの生きものが自らの解釈が正しいと思って生活しているのだろう。というか他の解釈ができないでいるということかも知れない。そこで私が知りたいのは、人間の赤ちゃんには対象はどのように解釈されているのか?ということだ。


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